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2010.8.05
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Welcome to North Base Niseko Inc.

移 住 者 の 声

ここでは最近ニセコ町に移住した方々の生の声を掲載しております。
私がインタビュー(どうしてニセコを、住んでみて、除雪、不便な所等)を通して
書いたものです。まとまりの無い文章ですが
いずれも許可を得て掲載しています。
これを読むと本当にニセコに永住をしたくなります。
永住を希望されない方は決して読まないで下さい。
(インタビュー時期は2002年-2003-2004年)

今年(2004)の8月に弊社が仲介して物件を購入していただいた阿部さんにインタビューをしました。阿部さんとはテニスでほんのちょっと知り合いだった方でした。その方から電話があり、土地探しに奔走しました。

Q:何でニセコに土地を買おうと
A:いっぱいありますが、環境と憧れですね。何となくにニセコに憧れていました。日本海の岩内は荒々しく風が強く、ニセコは雪が多いが柔らかい感じがしました。
Q:土地を買ってペンションをやるとか
A:プチホテルが夢です。中高年を対象にした部屋数2〜3部屋の控え目なホテルです。
Q:煉瓦でしかも自分で建てるとか
A:希望はね。手伝ってくれるボランティアを募集です。でも、出来上がる頃は年往ってヨボヨボかもね。
Q:どのくらいかかるの
A:煉瓦を9万個使う予定で、単純計算で1日100個の煉瓦を積むとすると年間で3万6千個。でも、北海道では半年しか仕事が出来ませんから年間1万5千個として約6年です。
Q:大変だ。それでボランティアを募集する訳ね。ところでJICAに居たとか。
A:青年海外協力隊で南米ホンジュラスに2年3ヶ月居たんですよ。
Q:何を教えてたの
A:かっこよく言えば造船技術指導かな。親父は船大工で跡取りだったので船大工の修行をしていました。それで船大工を教えたんですよ。半分は遊びでしたけど。
Q:異国に何か足跡を残したの
A:現地の人に一生懸命教えるがなかなか育たないんですよ。道具も揃っていないとか、良い材料がないとかの問題もありましたが。でも、当時の大使館の人に日本の『御輿』を作らないかといわれ御輿を作りました。それを協力隊員が担ぎ、日本の文化を見せられました。その御輿は今でもボリビアかどっかで担がれていると聞きました。凄いでしょ。
Q:たいした貢献じゃないよ。
A:そんなことはないよ。当時はあっちの人は日本を、日本人を知らない。ワールドカップにも出ていない国なんか。その中での協力隊ですから、苦労しました。
Q:夜は岩内町で『居酒屋ムーチョ』のオーナーで昼は仮小屋作り、大変ですね。(写真は居酒屋ムーチョの玄関)
A:大変ですよ。でも、好きなんですね。こうゆうことが。好きでないと出来ないよ。
Q:居酒屋ムーチョは何が美味しいの
A:パイリア、ラザニア。それとサラダですね。6種類のサラダは好評です。
Q:スペインにも居たとか
A:海外青年協力隊の後は、スペインに2年くらい居たかな。テニスの修行と料理の勉強のためと言えば格好がいいが、それじゃ、食べられないので日本人観光客相手のガイドをやってました。帰って来て居酒屋ムーチョの内装を1年かけて手がけてオープンさせて、10年過ぎました。ニセコには30歳くらいからずーっと行きたいと思っていて、現実はちょっと近づいたかな、という感じですか。
Q:俺と同い年、25年寅年ですよね。
A:違いますよ。年下ですよ。26年3月生まれだもの
Q:同学年、変わらないじゃない。ところで、嫁さんを募集しているとか
A:とりあえず。煉瓦積みを手伝ってくれて、プチホテルの女将さんになってくれる人。
Q:このホームページに出て、嫁さんが来たら、居酒屋ムーチョ、飲み代ただだよ。
A:ああ、いいですよ。
(2004年10月)

阿部さんは煉瓦造りのプチホテルを建てるため、現在、仮小屋を建てています。(写真:生き生きしてます)この仮小屋は船を作るための小屋を岩内から移築し建てています。作業をしているときは普通のオッさんですが店に出ると『シェフ』に変身します。店は岩内町の繁華街にあり、スペイン料理が美味しい、顔に似合わずおしゃれな店です。

岩崎敬(31)雅美ご夫妻(ニセコ町字近藤)

●何処に住んでいるの
 竹内さんの家の奧です。

● 出身は 
 (夫)三重県鈴鹿市です。(妻)千葉県千葉市です

● 何でニセコに
 (妻)パパがニセコアドベンチャーセンター
(NAC)に仕事を決めたから。

● 何でナックに
 自然の中で仕事がしたくって入社試験を受けました。

● その前は何処に
 旭川で彼が塾の先生で、私は旅行会社で働いていました。

● 何で旭川

もともと2人とも大のアラスカファンで向こうにいたんですが、住めるビザが切れて、その更新が出来なくなって日本に戻ってきました「ビザのいらないアラスカは?」というこ とで北海道に行こうと決め、名古屋にある北海道移住促進センターに登録しました。そこからは仕事があるとファックスで情報が送ら れてくるようになっていました。丁度、札幌のIT関係の仕事と、旭川で塾の先生の募集があり、旭川から誘われ、旭川にしました。旭川市では引っ越し代を持ってくれました。

● 塾で何を教えていたの

無料でアラスカは素晴らしいって教えてました!有料で高校生に数学を教えていました。

● ニセコは旭川と比べるとどう?

 旭川では都会暮らしだったので週末しか山へいけませんでした。山の中で暮らしたいと思ってニセコに来ましたが、ニセコの方が楽しいし、適度に英語が聞ける環境が気に入っています。原野を身近に感じながら仕事もあって、静かなところに暮らせているのでとても幸せです。
(妻)ニセコの方が良いし、明るい感じがします

● 何でアラスカに

 (夫)うぅーん、難しいです。僕にとっては全部があるから。
(妻)人が優しく暖かい。生きる緊張感を感じるから。

● ところで全部があるからって何よ

 向こうでは生きてて都合の良い自然より、むしろ都合の悪い自然のほうが多い。寒さもはんぱでなく住みにくい。グリズリーという熊が一番大きな顔をして歩いている世界です。うちらは周りに合わせて生きているかんじです。それゆえに自然の威厳とか美しさとかも同時に残っているんです。自然の全てを受け入れてその上でよいところを感じられる、それがとってもフェアな感じがしたし、圧倒される自然を前にして自分がよしがんばろうっていうか、とても生きている実感が得られる。自分のできる尺度を感じられるというか。学生のときに悩んでいた答えがすべてあったんです、アラスカに。説明するのは難しいですね。

● アラスカで出会った? 

 そうです。アラスカ大学の日本語学科のクラスで。私はそこのクラスの手伝いをしていて、この人は見学に来ていました。その日にひょんなことから教授が経営していたB&B(ビーアンドビー:コンフォートインさんみたいな宿)を二人で修理することになって、それからズーと一緒です。

● 某有名私立大の大学院卒業と聞いているが

 大学院は自主退学をしました。

● 何を習っていたの

 材料工学です。金属とかセラミックの再結晶を学んでいました。コンピュータでシミュレーションして新しく理論の裏づけとか公式みたいなものを作っていたんです。この人も精密機械工学科です。自然とはかけ離れています。

● 今の仕事に役立ってますか

 イャー、エッヒー、何もないです。そう、パソコン使ってますね。無駄って云うとお母さんが泣いちゃいます。イャー趣味で勉強していましたし、納得行くまでやりたかった。でもそのとき自分の中で形成されていった哲学のような悩みのようなものが実際にアラスカへいく行動力を生み出しているので、今があるのはすべて過去のおかげです。

● 友達はどんな会社に就職するの

 コンピュータ関係とか製鉄会社、自動車会社とか宇宙開発事業団などですね。

● 親父さん、お袋さんはこの生活をどう思っているの

 親父さんは自分がしたいことを息子がやってくれているということで理解をしてくれているし、自分のように喜んでいます。母親も最近は理解してくれています。この人はいろいろな家庭の事情があって家出娘です(笑)

● 趣味特技は

 (夫)今のところはスノーボード。雪山全般、雪が好きです。マミちゃんは料理が得意じゃん。
(妻)そんなー。スノーボードと飲酒ですか。

● 住んでみてニセコはどう

 楽しいです。最高です。アラスカでの暮らしでしたかったことのほとんどがここで日本語で出来ています。向こうで当たり前でニセコで出来てないことは唯一狩りくらいだと思います。

アラスカでは22口径でパンパンとやっていました。この人はショットガンをやっていたようです

● 親交会に期待するものは

 色々な方々と、地域の方と知り合えることを期待しています。農家の人の話が聞けるのがとても楽しいです。なにせ学校では誰も教えてくれませんでしたから〈笑)。ちなみにアラスカでは寒すぎで誰も作物を育てていませんし。いつか会社からも自立した生き方に到達できたらうちらの人生は成功。ニセコにはそういう人がたくさんいるのでささいなことも本当に勉強になります。

<2004/March>

長沢隆/美幸ご夫妻(ニセコ町字元町)
インタビュー時2003年春
●どちらから
やっぱり小樽かな。会社を辞め、小樽の実家に居て、土地を物色し、ここを探しました。
●前職は
仕事は損保に勤めていました。
●何処で
仕事の関係で色々な所で。最後は博多、その前は大阪、名古屋にもいました。
●東京は
東京に転勤になったらその時点で辞めています。住むところでないですよ東京は。
●旦那さんの年は? 
誕生日が来て、46才になります。
●早期リタイヤですね。
会社を辞めたのは去年の3月です。入社後5年経って自分が求めているのとは違うと感じ、いつか辞めてやろうと、一生懸命小金を貯めだした。田舎には追い求めているものが有るだろうとの確信から、景観が素晴らしく、羊蹄山の憧れもあり、しかも空気が良くて、ガンにもかからないところということでニセコのここにしました。
●ガンにもかからない?
気持ちよい生活をしていればガンにはかからない、と思っています。
●奥さんは
ピアノを教えていました。行く先々で、数人単位で。
(夫)これで生徒募集と書いてもらえよ。
●生徒募集しますか
(夫)うちの稼ぎ頭、どう募集する?
 (妻)生徒さんがいればね、教えたい。
●月謝はいくらですか
(妻)あんまりとってもね。
 (夫)ちょっと小金を稼げよ。
 (妻)暴利をむさぼってもしょうがないし、
  応相談として下さい。←随分安いぞ。
●旦那の趣味は
色々あるけどジムで身体を鍛えること。ジムで鍛えるのは生活の一部だったし、一週間空くと焦るほど。筋力をつけたい人はどうぞ。
●と云って2階に案内、凄い設備が揃っている。
ベンチプレスで100キロ挙げたけどやってないとダメですね。
●まもなく運動会があり、35キロの俵かつぎがあるけど。力持ちなら出たらどうですか。
目から火花ですね、それって。それでも35キロは相当なもんですね。足がもたつくし、ちょっと考えてみます。
●その他の趣味は
学生時代にやっていたエレキギターを20年ぶりにやり始めました。学生時代はアルペンの競技スキーに出ていて、コブをバンバン滑っていました。その時、脚力の衰えを感じ、ジムに行ったのがジム通いの始まりです。
●酒は?
 飲むのは飲みます。でも、3次会、4次会はゴメンです。もういい加減にやめようや、の心境です。
●何で元町でなく近藤親交会に
野坂さんに進められたり、高橋会長に話しかけられて、近藤の方が面白そうだとの印象を受けたのであえて近藤にしました。
●除雪はどうするの?
自分でやります。取りあえずは真面目に働くつもりはないし、お金も無いので、この2200坪の土地に畑を作らないと喰っていけない。その為、土地を活用するため、ユンボーを買いました。これで150メートルある道路をやります。楽しそうだなと。全部遊び、遊びの感覚ですよ。このユンボーで露天風呂も作るつもり。
●冬場はどうするの
今は考えていないですね。損保時代に冷や汗は一生分かいたので力仕事で汗をかきたい。ホワイトカラーよりブルーカラーの仕事をやりたい。ブルーカラーの仕事のほうが良い。中年フリーターで小金を稼ぐ。
◎長沢さんは決して大柄ではありませんがベンチプレスで100キロを挙げるとは。きっと、脱いでも凄い身体をしているんですね。奥さんのピアノ講習も魅力的ですよ。
大平 学 一家

1997年3月当時 私(39才)、妻(37才)、長女(11才)、長男(8才)の4人で札幌から移住。

現在、ニセコ町字近藤に住み、くすり・漢方/気功整体の薬食館を経営<クリック→詳しく>

 札幌で薬店に勤めていて家を建てたいと思い札幌に通える範囲の札幌近郊(南幌町、長沼町、由仁町)で土地を探していたが良い物件が見つからずやきもきしていた頃、知り合いがニセコに居たのでたまたま遊びに来たら気に入り、直感的にここだ!!という感じから土地探しを始めた。

 私はニセコと同サイズの田舎の出身で田舎が嫌で都会に出た。しかし趣味のオ−ディオや楽器のドラム演奏(バンド)などを満喫するための環境にはやはり田舎が良いと思い直し、また妻は都会育ちではあるが田舎が好きで畑をやりたかったのと子供の頃、4年間隣町の倶知安町で過ごしたこともあり、家族4人とも田舎住まいに抵抗無く、取りあえず借家を見つけて引っ越しをした。

 やはり土地を探すのは地元の人に聞くのが一番であり、地元に住んでいるとチャンスも多くなり、いろいろな物件があったがなかなか縁がなく、やっと3度目の土地で購入までの縁に結びついた。当時は借金しかなく、お金を用意するのも大変だったが何とか都合をつけ入手した。
決める前は色々あり大変な思いもしたが、決めたらドンドン前に進んで、すべてが流れに乗って不思議なくらい順調にいった。

 もともと薬種商と療術師の免許を持っていたので将来独立はしたいと思つていたし、ニセコに来て結果的に家と店、両方持てることになった。最初はもっと住まい重視の静かな人気のない場所を探していたがどうしてもそれら土地に縁がなく、最終的に今の場所に決まったのだが、環境や景色も良いだけでなく、いつの間にかだんだんと交通量が多くなり、仕事向きの場所にもなっていた。

 買い物などは共同購入で1週間に1回配達があるし、ちょっとした買い物ならニセコ町内で、それ以外は隣の倶知安町に行く。野菜は自分でも作っているが、近所の農家の方々からたくさんの野菜をいただくことも多く、田舎の良さを味わっている。
近所付き合いが面倒で都会にいる人もいるかも知れないが、このような田舎では部落の会合にも積極的に出て中に入っていくことも大切だと思う。

 こちらでは部落内で誰かが亡なった場合は葬儀屋さんに頼まず、自分たちでするのでお金がかからない分、手伝いもなかなか大変で苦労もあるし、田舎特有の付き合い方が必要で慣れない点もあるが、メリットとデメリットは同居するものなので良さを生かして育てていくこともこれから必要だと思う。
また、一般に田舎の人は排他的と言われるがニセコには以前から移住者が多いので、外から来た人に対して慣れていて、むしろなじみやすさを感じる。
除雪はとても大変な量なので業者に任せている。

 こちらに来てからの事件に、引っ越しをして1ヶ月後ぐらいに長男が小学5年、長女が中学1年の時、二人とも不登校児童になった。普通は親がとても慌てふためく様だが我が家では夫婦とも一致した意見で行きたくなるまで放っておいた。時が来るまで何もしないで待つことということは本当は一番大変なのだが、これが不登校児を立て治らせる最高の方法に思う。結果的に時期を見計らい、ちょっとの後押しで学校に行くようになったが長女の場合は1年8ケ月かかった。

 不登校の反動で長女は一生懸命勉強し、公立高校に合格し通っている。長男は風邪を引いて具合が悪くても学校を休まないぐらい学校が好きになっていた。またその間に、自宅で12年ぶりに次男を出産し、その場に子ども二人を立ち会わせたことにより新しい命の誕生といった言葉で伝えられないものを教えられたように思う。長女は出産扱いを手伝ってくれたし産後もとても役に立った。

 その当時は子供二人とも不登校児、夫婦二人も店を出す前だったので一見何もしていないように見え、引っ越しをしてすぐのその状況では隣近所からはかなり怪しい家庭に思われていたようだ。これは後ほど誤解がとれて親しくなってから始めて分かった。
しかし、この間、家族、親子の会話も増え、常に一緒に行動し、非常に濃い時間を過ごした。

 結果的には家族がバラバラにならず、ズレている若者がいるこの時代、家族の連帯が強まったように思う。
不登校は一般的に良くないことのように思われているが、我が家では普通では味わえない環境に出会ったわけで結果的に新しい家族の絆みたいなものを作れたように思うし良い経験だったと思う。

 現在の生活での理想を言えば、札幌まで電車で1時間ぐらいで行ける環境があればと思うこと、近くに大きな本屋がないし食べ物(飲み屋)屋も少ないので競争がないのか今一つのところが多い。

 また公共交通手段があまりないので子供を学校などに車で送迎することになるのも不便なところだ。(しかしこのお陰で無断外泊や朝帰りなどを未然に防ぐことになっている。)
車なしでは行けないところがほとんどなので都会より運動不足になりやすいのも田舎の欠点である。

 しかし自分のリズムで生活を楽しめるし、都会のように何かに追われていつも忙しい波動の中とは違う世界がある。
またニセコには変わった!?(自分もその一人だが....。)面白い人が多く集まっておりそういう人に出会えることも大きな楽しみである。
田子宏さんの場合

1998年7月(夫70才、妻)で移住
ニセコ町富士見

 50年間サラリーマン生活をしてきて、余生を何処で、どう過ごそうかと考えた。住み慣れた東京だが、もういい、住みたくないと思い、年齢の関係もあり、暖かい伊豆方面を中心に静岡、千葉と分譲地をいろいろ探し廻ったが気に入った場所が無かった。のんびり出来ない、不便だ、土地が高い、畑作ができない等。

 そのような状況時に台湾高雄時代の中学のクラス会が函館であり、友人の一人が東京を引き上げ、ニセコに行くと、そして良いところだ、ということから5月に見に行った。ニセコに着いて、景色、空気、水、一目で気に入ったが、冬の寒さや豪雪の経験が無かったし、不安があった。それで役場に行って役場の担当の方に会ったが、その時の役場の対応が非常に良かった、色々な話も聞いてくれたし、その時にここに住もうと思った。もしものことがあってはいかんと思い、冬に一人で来て状況をチェックしたが道路は除雪してあり、問題はなかった。

 雪の怖さや冬の寒さを知らないので暖房については慎重に検討し、北海道電力のオール電化を、安全だし、クリーンだったので選んだ。欠点は乾燥しすぎることだが加湿器で対応している。

 団地内には自治会があり参加しているが近所(地元)の人が実に親切だ。冬の経験のない老夫婦に対し、こうしたほうがいい、ああしたほうがいい、と良くアドバイスをしてくれた。シーズンになるとトウモロコシ、ジャガイモ等、二人では食べきれないほど持ってきてくれる。景色や空気等ニセコの自然が気に入って来たが、来てからは人情を強く感じる。

 この辺は何でも配達してくれる。協同組合に加入すれば新鮮な野菜、魚を毎週一回運んでくれ、卵も比羅夫から、定期購読雑誌、クリーニングも同様だ。東京と生活が違うのは気軽に映画に、デパートに、うまいモノを食べに等、行けないことだ。外で飲むことも少なくなった。札幌や小樽に行く場合、車が無いので電車で行くが本数が少ない、遠い、と不便を感じるがゴトゴトのんびり行くのも良いのかなと。でも、都会、特に銀座が好きだったが東京に行っても煩わしくなり、もう、都会には住めないでしょう。

 玄関前はロードヒーティングだがその他の家の周りの除雪は自分でやっている。何回かやると要領も覚える。冬は雪かきくらいしかやらないが5月からは外の仕事、野菜作りや芝刈り等、やることが沢山あり、忙しいがそれが楽しみ。今年もナス、トマト、インゲン、オクラ等色々作ったがトウモロコシとジャガイモは作らなかった。沢山貰えるから。

 ここはその日その日で色彩が異なる朝日や夕陽、そして四季折々の景色が本当に素晴らしい。季節により日の出の位置が大きく異なったり、冬の星空の見事さ、これらはニセコに来て初めて知った。

 町の講習会に出て、70才で初めて歩くスキー、クロスカントリースキーを始めた。冬の時期は家の周りを30分ほど着けて歩いている。その他、ゴルフを年10回ほどやる。東京でゴルフをする場合、着替えをボストンバックに入れ一日がかりで出掛けるが、ここは近いし、安いし、着替えなど要らない等非常に気軽にできる。今後は魚釣りをしたいと思っている。

 困っていることや不便なことを聞かれても何があるのか考えないと出てこない。生活費も特別な出費を除けば年金生活で十分やっていけるし以前に比べ余りかからない。車が無いので雪が多いときはちょっとした外出が億劫になるがタクシーを呼べばすぐ来てくれるし、車が無くても十分生活が出来る。維持費、危険度を考えればタクシーのほうが安く安全だ。ただ、老夫婦なので後何年芝刈りや雪かきができるかなとか、一人になった場合、生活が出来ないのではと思ったりする。が、近くには老人用ハイツもあり、もっと先にはディケアセンターもある。その先には町の火葬場もある、と笑っている。友人にニセコ移住をつげたら10人中10人が、何であんな寒いところへ、豪雪地帯へ行くのかと猛反対されたが、今4年目の冬を迎えているが来て正解だった。友人には隣の分譲地が空いているので来いよと言っている。でも、もう10年前に来ていたらもっと楽しかったのにと思うし、これからは北海道に逃げてくる人が多くなるのではと思っている。<2003年3月にお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。>

COMFORT INN オーナー荒巻さんの場合

2001年12月開業

 最初は家族スキーでニセコ来ていてニセコはいいね、とただ単に家族で話していた。その後、長男が札幌の大学に入学したことがきっかけで冬ばかりではなく北海道を訪れ、いつかは北海道に住みたいと思うようになった。たまたまマイレージがたまり夫婦で函館を旅行し、大沼に泊まった。帰る日、飛行機に乗るまで時間があったので乗馬のトレッキングを体験した。その乗馬はただ単に馬に乗り、ぐるぐる回るだけではなく、そこのオーナーは原野に連れ出してくれた。馬上から見る原野風景の雄大さに気持ちよくなり北海道をますます好きになった。オーナーに対し、「本当は北海道に住みたいんです。」と言ったら「住めばいいじゃない」と言われ、「サラリーマンなので住むのは夢なんです。」と。そうしたらオーナーは「夢は叶えるもの」等と、けしかけられ、一時おさまっていた気持ちがその気になってきた。

 ペンションや民宿は大変そうだし、食事の心配をしなくてはならないがB&Bスタイルなら素人でも何とかなると思うようになってきた。それで四国にあるそのようなシステムの所に旅行をした。安い料金で泊まれ、旅行する身には有り難いと思うようになり、一人で気軽に泊まれる場所を作れればと、急に現実味が出てきた。
 主人がスキーを好きだった関係からニセコの土地を見に来た。不動産屋さん2社に前もって物件を依頼しておいたが、スキー場周辺は高くて手が届かないなど、あまり気に入った土地が見あたらなかった。帰る日、物件近くにあったお宅で話を聞こうとして訪れた。そうしたらその方が土地ならある、とのことで紹介してもらい、気に入って購入した。土地は何とか手に入ったが、本当に実現できるのか不安になったが、最悪また売ればいいと思うようにした。

 しかし、B&Bをやると言ってもサービス業の経験もなく、怖い気持ちもあり、不安だったが、融資もOKが出るなど、急に歯車が回りだした。廻り出したらまた不安になった。
建物はインターネットオークションで入札を決め、何件か応募があった中から旭川の業者にお願いした。すごく良くしていただいた。約半年で出来上がり、一昨年12月にオープンしたが、オープン前、役場に挨拶回りを行ったところ、何となく暖かく迎えてくれた。地域によっては排他的な町村もあるとは聞いてはいたがニセコ違う。今まで嫌な方にお会いしたことはない、近所の方々にも良くしていただいているし、恵まれている。野菜とか新鮮で美味しいし安い。

 去年の夏、6月から9月中旬まで殆ど満室の状態で忙しかった。リピーターも多く、有り難いことに良い宿泊者が多い。今年の3月に主人が退職し4月から3人で運営するので少しは楽になる。

 ちょっとした買い物はニセコの町で、それ以外は隣町の倶知安に行く。不都合、不便がない、あるは、あるがままで満足すればいい、欲を言えばきりがないし、便利になれば逆に良さがなくなる。ちょっと吹雪かれると吹き溜まりが出来困るが業者に依頼している除雪でほぼ十分。

コンフォートイン専用ホームページへ→ URL http://www4.ocn.ne.jp/~comfort/
近さんご夫妻 1998年、夫47歳、妻と札幌から移住

 妻は京都生まれだが学校を卒業すると北海道に憧れ、札幌へ。その札幌も大都市になり過ぎ、妻の先導で北海道の田舎に行って花作りをしようとした。いざ住むとなると仕事が必要となるが田舎には仕事がない。農業をやるには広大な土地が必要となり、農産物の作り方も難しいことから、花作りをしようとニセコ、真狩、喜茂別の役場に問い合わせをした。

 その結果、羊蹄山麓(後志管内)で花作りを教えてくれるところは喜茂別にある「羊蹄花き育成センター」だけで、その経営者に教わることにした。妻が先に研修を受け、私もサラリーマンを辞め、6ヶ月後遅れて、合流し、2年間の研修を受けた。その間、喜茂別で適当な土地を探し歩いたが条件に合う土地がなかった。気に入った物件が2件ほどあったが、いざ買う段階になると、息子が帰ってきたら、とかで持ち主は首を縦に振らず、喜茂別では土地を借りることも買うこともできなかった。今でも育て方を指導してもらっている花きセンター長は、喜茂別に残ってここで仕事をやれ、と言ってくれたが喜茂別は断念した。

 そんなことから当初の予定地だったニセコの役場に行き相談した。役場の農政係、農業委員が積極的に対応してくれ、土地はすぐに決まった。ただ、公営の住宅に空きがなく、住むところの確保が大変だったが借りた土地の近くに売り出し中の空き別荘があり、連絡して安く借りた。ただ、ずーと借りられるか、ちょっと心配している。でも、ここまで来るには途中、挫折感を何度もあったがそれを乗り越えて来た。

 ニセコ町は外部から入ってくる人の受け入れ体制が整っている,出来上がっているのでスムーズにとけ込めた。地域の方々も歓迎してくれ他町村に比べとけ込みやすいのではないか。知り合いは誰もいないが全然問題ないし、理想通りとは行かないが、想像以上にいい感じを持っている、満足をしている。雪との戦いは覚悟をしていたし慣れてくれば雪と仲良くやる気持ちでいれば大して苦ではない。

 第1回の花フェスタがニセコ町であり、ニセコ町では花を栽培している人はいないので町から私が作った花の提供を依頼された。町全体に私の作った花で一杯になればと願っているし、2棟のビニールハウス全体を花で囲み、花作りをアピールしたい。こんなことから少しずつ花が増えてくれればと思っている。

 今はハウスが2棟。今春にはもう一棟増やす予定。花はアイビーゼラニウムを定番にして7種類ほど栽培している。春の北海道の定番であるバンジー、ビオラの3種類は年中作るつもり。花作りは休めないし大変だが毎日毎日成長している度合いがわかるので非常に楽しみ。
今後はニセコを離れるつもりは全くないし、もう札幌はいい。